原爆の碑と遺跡(1)原爆ドーム
原爆の碑と遺跡 - 2010年01月09日 (土)
原爆の碑と遺跡
(1)原爆ドーム =FIG三登浩成記=
1915年広島県産業奨励館として開館。
1996年ユネスコが世界遺産に登録。チェコ人のヤン・レツルが設計。
チェコには同じような建物が多くあるが、この写真の建物はプラハにあります。

右側(160m 南東)の上空600mで原爆が炸裂したために、
右側の方が損傷がひどくなっています。(2009.4.25撮影)

洋菓子店「ユーハイム」の創始者カール・ユーハイムは
第一次世界大戦中に広島の似島に捕虜として収容されていました。
1917年、日独親善捕虜の作品展示即売会(現在の原爆ドーム、当時は物産陳列館で開催)
に、製菓マイスターの資格を持つカールが日本で初めて焼いたバウムクーヘンを出品。
広島市民に大好評だったので、戦後神戸に「ユーハイム本店」を開店しました。

産業奨励館(原爆ドーム)の庭には噴水と東屋がありました。

噴水の水はこれらのガーゴイル(元来、怪獣の形をした雨水の落とし口)から出ていました。
(平和記念資料館の特別展示場で撮影。現在は見る事はできません)

劣化度を調査中です。(2009年1月撮影)

ドームは見る場所と季節によって違った表情を見せます。
夕暮れのドーム(2008.12.14撮影)

ライトアップされたドーム(2006.5.4撮影)

朝もやの水面に映るのドーム(2009.7.22撮影)

こういう雪景色は滅多に見る事ができません。(2009.12.31撮影)

原爆ドームの玄関前の「雁木(がんぎ)」。
このような雁木は市内の6つの川の両側に今でも300もあります。
広島の川は最大で4mもの干満差があるので、いつでも船が着けるように造った階段です。
原爆によって逃げ惑う多くの被爆者はこのような雁木を下りて川面は死体で覆われました。


広島観光は ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

(1)原爆ドーム =FIG三登浩成記=
1915年広島県産業奨励館として開館。
1996年ユネスコが世界遺産に登録。チェコ人のヤン・レツルが設計。
チェコには同じような建物が多くあるが、この写真の建物はプラハにあります。

右側(160m 南東)の上空600mで原爆が炸裂したために、
右側の方が損傷がひどくなっています。(2009.4.25撮影)

洋菓子店「ユーハイム」の創始者カール・ユーハイムは
第一次世界大戦中に広島の似島に捕虜として収容されていました。
1917年、日独親善捕虜の作品展示即売会(現在の原爆ドーム、当時は物産陳列館で開催)
に、製菓マイスターの資格を持つカールが日本で初めて焼いたバウムクーヘンを出品。
広島市民に大好評だったので、戦後神戸に「ユーハイム本店」を開店しました。

産業奨励館(原爆ドーム)の庭には噴水と東屋がありました。

噴水の水はこれらのガーゴイル(元来、怪獣の形をした雨水の落とし口)から出ていました。
(平和記念資料館の特別展示場で撮影。現在は見る事はできません)

劣化度を調査中です。(2009年1月撮影)

ドームは見る場所と季節によって違った表情を見せます。
夕暮れのドーム(2008.12.14撮影)

ライトアップされたドーム(2006.5.4撮影)

朝もやの水面に映るのドーム(2009.7.22撮影)

こういう雪景色は滅多に見る事ができません。(2009.12.31撮影)

原爆ドームの玄関前の「雁木(がんぎ)」。
このような雁木は市内の6つの川の両側に今でも300もあります。
広島の川は最大で4mもの干満差があるので、いつでも船が着けるように造った階段です。
原爆によって逃げ惑う多くの被爆者はこのような雁木を下りて川面は死体で覆われました。


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