回天の島
観光 - 2008年06月16日 (月)
横浜からお越しのI様と山口県大津島に行ってきました。
広島空港~徳山港まで休憩しながらのゆったり走行で2時間。
徳山港から大津島 馬島まで高速艇で20分。

回天関係の見学場所は車両走行不可なので私のクラウンは港のPに置きました。
I様達とご一緒させて頂きの徒歩島内観光です。初めての島に少しドキドキです

テクテク歩いて

港から10分。
何かとお詳しいI様に説明して頂きながらトンネル入り口に着きました。
(立場反対ですみません
)
トンネルに入るまでは普通の島。島民536人だそうです。
のんびりとしたこの島が63年前には
祖国を守る為、死を覚悟した若者達が全国から集まってきたとは・・・。

工場から訓練基地へ回天を運んだトンネルです。
真ん中の黒いスジ2本は、回天を運んだトロッコのレール跡。
I様よりおしえて頂きました
トンネルには当時の写真が展示してありました。
若さみなぎる青年がたくさん写っていました。

トンネルを抜けると青く美しい瀬戸内海。

数人が魚釣りを楽しんでおられました。
丁度、おじさんの一人が墨を吐きながらのイカを釣り上げてました。

おじさん達の反対側に訓練基地跡はありました。
和やかな魚釣りの雰囲気とは一転。
暗く、重いものを感じました。
ここで死を覚悟し訓練していた若者はどんな気持ちだったんでしょうか?

訓練跡は、潮風にさらされながらも、今現在も当時のままです。
金網から覗き込むと、やはりゾッとしてしまいます。

訓練の為に回天を降ろした場所です。
回天と同じ細長さが不気味に感じました。

訓練跡地から15分 小高い丘に”回天記念館”はありました。
回天の搭乗員の訓練用宿舎だった場所に記念館は設けらたそうです。
入り口には、回天による戦没者145名の方の名前と出身地が書かれた石碑が並んでいました。

おそろしい海の特攻兵器、人間魚雷”回天”です。

遺影の写真はみんな若くて立派な青年達でした。

遺書、手紙、など合計約1,000点の展示です。
どの遺書も大切な家族を思う気持ちがあふれていました。

63年前にこんな悲しいことがあったんです。
今のおかしな若者をここに連れてきたら何か感じてくれるんでしょうか?
平和を願うしかありません・・・。

船の時間までかなりあったので、ソフトクリームを食べてたら
そこの店主が歩いては行けない所を車で案内してくれると言う。
ラッキ~


レンタルタクシー店主さんに感謝です。
大津島のお話もいろいろしてくださいました。こういうのが最高の旅かも・・・

この島は黒髪島とともに良質な御影石が産出するそうです。
大阪城築城残石
城の石垣として使用する目的で切り出された石が島内に残っているのです。
毛利氏の船印が刻まれていました。 店主のおじさんの説明(^^)

毛利藩の統治時代に開墾されたという水田跡のガマの群生地にも連れて行ってくれました。
店主さん、ガマを1本取ってきて、私にくれました。
ガマのプレゼントなんて生まれてはじめて(^^;) でもなぜかとっても嬉しかったな

回天という辛く悲しい訓練地のあった島の見学でしたが、
温かい店主さんの登場で、穏かな気持ちで帰ることができました(^^)
店主さん御夫婦のつくられた自慢のジャガイモも頂きました。
島の美しい絵葉書までも・・・

I様も 「遠い島だけど来てよかった」と喜んでくださいました。
ここを訪れれば、今を精一杯頑張ろう!って気持ちになりますよ。

楽しい海の旅をご一緒させて頂き本当に感謝です。
2日目は、海軍兵学校(江田島)でした。
続きはまた明日・・・・

<お客様の写真公開はご了承頂いた方のみです。>
☆クリックしてね!ランキング参加中

☆ クリック ↓ ↓
★広島観光はナンバー1グループにおまかせ♪
広島空港~徳山港まで休憩しながらのゆったり走行で2時間。
徳山港から大津島 馬島まで高速艇で20分。

回天関係の見学場所は車両走行不可なので私のクラウンは港のPに置きました。
I様達とご一緒させて頂きの徒歩島内観光です。初めての島に少しドキドキです


テクテク歩いて



何かとお詳しいI様に説明して頂きながらトンネル入り口に着きました。
(立場反対ですみません

トンネルに入るまでは普通の島。島民536人だそうです。
のんびりとしたこの島が63年前には
祖国を守る為、死を覚悟した若者達が全国から集まってきたとは・・・。

工場から訓練基地へ回天を運んだトンネルです。
真ん中の黒いスジ2本は、回天を運んだトロッコのレール跡。
I様よりおしえて頂きました

トンネルには当時の写真が展示してありました。
若さみなぎる青年がたくさん写っていました。

トンネルを抜けると青く美しい瀬戸内海。

数人が魚釣りを楽しんでおられました。
丁度、おじさんの一人が墨を吐きながらのイカを釣り上げてました。

おじさん達の反対側に訓練基地跡はありました。
和やかな魚釣りの雰囲気とは一転。
暗く、重いものを感じました。
ここで死を覚悟し訓練していた若者はどんな気持ちだったんでしょうか?

訓練跡は、潮風にさらされながらも、今現在も当時のままです。
金網から覗き込むと、やはりゾッとしてしまいます。

訓練の為に回天を降ろした場所です。
回天と同じ細長さが不気味に感じました。

訓練跡地から15分 小高い丘に”回天記念館”はありました。
回天の搭乗員の訓練用宿舎だった場所に記念館は設けらたそうです。
入り口には、回天による戦没者145名の方の名前と出身地が書かれた石碑が並んでいました。

おそろしい海の特攻兵器、人間魚雷”回天”です。

遺影の写真はみんな若くて立派な青年達でした。

遺書、手紙、など合計約1,000点の展示です。
どの遺書も大切な家族を思う気持ちがあふれていました。

63年前にこんな悲しいことがあったんです。
今のおかしな若者をここに連れてきたら何か感じてくれるんでしょうか?
平和を願うしかありません・・・。

船の時間までかなりあったので、ソフトクリームを食べてたら
そこの店主が歩いては行けない所を車で案内してくれると言う。
ラッキ~



レンタルタクシー店主さんに感謝です。

大津島のお話もいろいろしてくださいました。こういうのが最高の旅かも・・・

この島は黒髪島とともに良質な御影石が産出するそうです。
大阪城築城残石

城の石垣として使用する目的で切り出された石が島内に残っているのです。
毛利氏の船印が刻まれていました。 店主のおじさんの説明(^^)

毛利藩の統治時代に開墾されたという水田跡のガマの群生地にも連れて行ってくれました。
店主さん、ガマを1本取ってきて、私にくれました。

ガマのプレゼントなんて生まれてはじめて(^^;) でもなぜかとっても嬉しかったな


回天という辛く悲しい訓練地のあった島の見学でしたが、
温かい店主さんの登場で、穏かな気持ちで帰ることができました(^^)
店主さん御夫婦のつくられた自慢のジャガイモも頂きました。
島の美しい絵葉書までも・・・

I様も 「遠い島だけど来てよかった」と喜んでくださいました。
ここを訪れれば、今を精一杯頑張ろう!って気持ちになりますよ。

楽しい海の旅をご一緒させて頂き本当に感謝です。
2日目は、海軍兵学校(江田島)でした。
続きはまた明日・・・・


<お客様の写真公開はご了承頂いた方のみです。>
☆クリックしてね!ランキング参加中


☆ クリック ↓ ↓
★広島観光はナンバー1グループにおまかせ♪
スポンサーサイト