カテゴリ:原爆の碑と遺跡のエントリー一覧
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原爆の碑と遺跡(5)元安橋とレストハウス
原爆の碑と遺跡 - 2010/01/27原爆の碑と遺跡(5)元安橋とレストハウス =FIG三登浩成記=被爆前の元安橋(1926年頃)原爆投下後の元安橋と燃料会館(2枚)レストハウス(当時の燃料会館)は強固な造りのために、基本的形態はとどめた。建物の中にいた37人の内、野村さんだけが地下室にいたために生き延びた。元安橋は爆心地から一番近い橋のために、上からの爆風に耐え、倒壊せずに残った。現在の元安橋とレ...
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原爆の碑と遺跡(4)動員学徒慰霊塔
原爆の碑と遺跡 - 2010/01/17原爆の碑と遺跡(4)動員学徒慰霊塔 =FIG三登浩成記=防火帯をつくるために建物疎開作業に動員された12,13歳の生徒が約6,300人、軍需工場等に動員されていた14~17歳の学生が約900人が原爆の犠牲になりました。平和の女神像は、3つの宗教の組み合わせになっています。顔は仏教、 ベルトのバックル部分は神道の象徴である鏡、背の翼はキリスト教です。軍需工場で働く男子学生服を縫...
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原爆の碑と遺跡(3)被爆地蔵と被爆墓石
原爆の碑と遺跡 - 2010/01/13<原爆の碑と遺跡>(3)被爆地蔵と被爆墓石 =FIG 三登浩成記=原爆ドームのすぐ近くの西蓮寺(左)には被爆地蔵、西向寺(右)には 被爆墓石があります。被爆地蔵の台座は、熱線を浴びた部分はザラザラになっており、浴びない部分は影が残っています。西向寺には被爆墓石が80基もあります。西向寺の墓石を調査する日本の学術調査団右上からの爆風により、墓石が少しずれました。(...
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原爆の碑と遺跡(2)爆心地 改訂版
原爆の碑と遺跡 - 2010/01/10原爆の碑と遺跡(2)爆心地 改訂版 =FIG 三登浩成記=1945年8月6日午前8時15分、島病院上空600mで原子爆弾が炸裂。島薫院長は出張手術で不在のため無事であったが、病院の職員や看護婦、入院患者約80人が即死。倒壊した島病院と倒壊を免れた護国神社の鳥居(1945年11月 米軍撮影)現在の島外科内科当時、学童疎開中で無事だった長男の一秀さんが名誉院...
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原爆の碑と遺跡(1)原爆ドーム
原爆の碑と遺跡 - 2010/01/09原爆の碑と遺跡(1)原爆ドーム =FIG三登浩成記=1915年広島県産業奨励館として開館。1996年ユネスコが世界遺産に登録。チェコ人のヤン・レツルが設計。チェコには同じような建物が多くあるが、この写真の建物はプラハにあります。右側(160m 南東)の上空600mで原爆が炸裂したために、右側の方が損傷がひどくなっています。(2009.4.25撮影)洋菓子店「...